代表取締役 三原 淳

株式会社エムアイエス 代表取締役 三原 淳

代表取締役 三原 淳

株式会社エムアイエス
設立 2000.9.13
事業内容
  • コインランドリー機器輸入販売、コインランドリー店舗設計施工
  • mammaciao本部、eco-laundry本部、米国デクスター社日本総代理店
  • 不動産仲介業 神奈川県知事(1)第26628号
会社HP http://www.dexter-japan.co.jp/index.html

子どもの頃から常に「一番になりたい」リーダー気質

小児ぜんそくのため、小学校3年生頃まではほとんど学校に行けませんでした。
4年生頃から登校するようになったのですが、とにかく「前に出たい」「一番になりたい」性分。
委員長や代表委員など、リーダー的な役割を進んでやりました。
中学ではブラスバンド部の活動に熱中しつつ、勉強にも励みました。
負けず嫌いなのと、頑張った分だけ結果が見えるのがおもしろかったのです。
高校は県下二番手の学校に進学。
一番の学校に行けなかったことで、大きな挫折感を味わいました。
友達とバンドをやるなどしてフラフラと過ごし、学力も落ちていきました。

3年生の時、「このままではいけない」と、大学入学を目指して猛勉強を開始。
ほとんど学校に行かず、予備校で一日10時間も勉強して学力がみるみる上がり、大学に合格することができました。

大学時代の語学留学をきっかけに「英語を使って仕事したい」

大学に入ったものの、「大学生」という身分に甘えることなく、早く一人前になりたい、
自分で稼いで生計を立てたいと思っていました。
朝から晩までアルバイトをして月に15万~20万円を稼ぎ、一人暮らししたり車を買ったりして、
自立したような気分になっていました。当時はバブル絶頂で仕事はいくらでもあったので、
やればやっただけお金になったのです。

大学3年生の夏休み、ケンブリッジに語学研修に行きました。
学校がお金を出してくれて、50万円で40日間のホームステイ。そこで英語漬けの生活をしたことから、
「普通のサラリーマンではなく、英語を使って、海外で仕事ができるような人間になりたい」
という思いが強くなりました。

外資系製薬会社に就職。業界のベテランにもまれて社会の厳しさを痛感

新卒でファイザー製薬に就職。
「外資系企業に入るとアメリカに行ける」と思っていたのです。
残念ながら、全くそんなことはありませんでしたが。
しかし、評価が年功序列ではなく実力主義なので、
頑張った分だけ給料をもらえることに魅力を感じ、「俺ならきっと負けない」と思っていました。
子どもの頃から、なぜか「俺はできる」という、根拠のない自信があるんですよね。

研修期間中は薬科大学卒の同期に交じって医学の勉強に励み、営業のロープレでの成績は一番。
希望の営業所を選ぶように言われ、地元の横浜営業所に配属されたのですが、
そこは全社でもっとも大変だといわれる営業所。市場が大きいにも関わらず、
若手営業マンばかりなので、新卒でもすぐに結果を出さないといけません。

とはいえ、入社したてで、まだ右も左も分からない状態。
それまでは、学生の同年代の中では上位にいられましたが、社会に出ると、
同業他社の自分より20歳も30歳も年上の人と戦わなくてはならず、到底かないません。
「社会はこんなに大変なのか」と痛感し、無力感を味わいました。
しかし、昼夜なく働き、自分なりのやり方を工夫した甲斐あって、売り上げは上位の方でした。

「社会って何なんだ」憤りを感じ、10ヵ月で退職

ある日、仲のよい同期から電話があり、「成績がいいけど、どうやって売っているの?」と聞かれました。
私は彼に自分のやり方を教えてあげて、相手はどうやっているのかと聞いたら、
「ライバルだから教えられない」と言うのです。
あまりの仕打ちに、「社会って何なんだ」「こんなことを続けて、その先に何があるんだ」
そう思うと、もう仕事に行かず、家から一歩も出たくなくなってしまいました。

結局、入社10ヵ月で退職。人生で一番の挫折でした。

母の荒療治でスーパーに転職。仕事に没頭することで改善

人と話もせず、家から出ることもなく、家にこもりっきりの日々。
そんな中、母の荒療治が始まりました。
勝手に私の履歴書を書いて、企業に応募書類を送ったのです。東急ストアを受けさせられ、
バブル期で本当に人が足りなかったのか、即採用。配属された店では汗をかいて走り回りました。
汗をかくことで、自律神経の調子が整ってくるんですね。
また、一人の社員に5~6人のパートさんが配属され、ひっきりなしに
「どうしたらいいですか」と聞かれるので、指示を行いながらがむしゃらに働くうちに、
どんどん気持ちが晴れていきました。

夢の「スーパーエリートサラリーマン」から一転、経営者の道へ。

その後、OA機器の販社、印刷会社と転職し、コインランドリー機器輸入商社に3年勤めました。
30歳で社長に次ぐナンバー2のポジションになり、年収は600万円程度。

私は元々起業する気はなく、「課長島耕作のようなスーパーエリートサラリーマンになりたい」と思っていました。
その夢は叶ったし、収入は十分だし、これでいいんじゃないかと現状に満足していました。
しかしある時、新しい事業本部長が入社するのを機に、私の待遇が急に悪化。
その方針に納得いかず、2000年8月に退職。9月に有限会社エムアイエスを設立しました。

起業してよかったのは、全てに感謝できるようになったこと

起業して非常によかったと思うのは、感謝の気持ちを持てるようになったことです。
サラリーマン時代は、多少営業が得意だということから驕りがあり、お金をもらうのも、
部下が働くのも、協力会社が動いてくれるのも、当たり前のように思っていました。

それが、起業してからは、お客様や、お金を貸してくれる銀行、一緒に働いてくれる人など、
全てに対して、初めて「ありがたい」と思うようになったのです。
また、大きな夢を持てるようになりました。自分だけが幸せになるのではなく、
会社全体がよくなることを願って、日々働いています。

「働くママのため」「環境のため」「オーナーのため」のコインランドリー事業

当社のコンセプトは「働くお母さんのためのコインランドリー」。
忙しいお母さんに、自分のために使える時間をつくってあげたいという思いで、
女性にとって居心地のよいコインランドリー「マンマチャオ」を展開しています。
それだけなら他社でもやっていますが、当社の自慢は2つ。

一つめは、「環境にやさしい」。
地球環境と人間、両方にとってやさしくあることを心がけています。
我々が使っている洗剤は、口に入れても大丈夫なくらい安全。
さらに、予洗なし、すすぎ1回で、時間も水も節約できる、「エコランドリー」というブランドを立ち上げ、
商標を取っています。2010年に始めたのですが、まだ他社はどこもやっていません。
まだまだ意識の低い業界だと感じます。

二つめは、フランチャイズのオーナー様たちに楽をしてもらえること。
みなさん、本業ではないので、いかに手間を省くかが重要。
24時間受付のコールセンターで機械のトラブルなどに対応する自動遠隔システムや、
自動返金システムを導入しています。
これによって、オーナー様は、夜中や仕事中にいちいち対応する必要はありません。
また、機械は直輸入・直販なので、修理などの対応が早いことも、他社にはないところです。

あえて誰もがやらないことにトライし続ける

画期的な洗剤を作ったり、現金がいらないおサイフケータイを採用したり、ポイントカードシステムや、
24時間コールセンター、2000年にHPを開設して集客募集したのも、業界初。
誰もやっていないから、あえてやるのです。
なぜ、こんなにいろいろなことにトライしているのかというと、10億の会社にするため。
現状ではまだまだ満足できていないのです。

以前、ある社長から言われました。「10億いかなかったら会社じゃない」
そこで、そのために何をしたらいいかを考えて実行し続けているのです。
不動産事業部を作ったのもそのためです。さらに別業態も考えているところ。
いいものを作っていこうと、常に走り続けています。

10億の会社にするため「24時間戦える」気合の入った人材を求む!

今後は、コインランドリー事業部、不動産事業部、
新規事業部を合わせて全部で30人くらいの体制にして、10億の会社を目指しています。
これを、5年以内、50歳になるまでに実現させたいと考えています。
そのために今、必要なのは、私の知識と、精度の高い戦略。
また、24時間戦える気合の入った人材、私と同じ志を持った、
「死んでも負けない」というくらいの人間が欲しいですね。

今の若い人には、「将来、年収がいくら欲しいか」と聞かれて、「400~500万円」という人が多いです。
しかし、私は、「数千万円欲しい」というくらい、ガツガツした人がいいですね。
これは、お金にがめついというわけではなく、その目標に向けて、
「今、自分が頑張らないと実現できない」というとらえ方ができることが大切なのです。
「今がよければいい」と、早く家に帰ってゴロゴロしていても、将来きっと損すると思いますよ。
自分のために、自分の時間とお金を投資できない人は必要ありません。

「自分がこの会社の歴史を変える」くらいの気概を持った人がいたら頼もしいですね。
何かトラブルがあっても、「社長がなんとかしてくれるんでしょ」という人が多いですが、
社長が不在の間、自分がとって代わるくらいの気持ちがある人と一緒に仕事をしたいです。
その気持ちがあれば、この会社は変わるはず。
また、そういう人が選んでくれるような会社にしたいですね。