代表取締役 高間 邦男

株式会社ヒューマンバリュー 代表取締役 高間 邦男

代表取締役 高間 邦男

株式会社ヒューマンバリュー
設立 1985年11月15日
事業内容
  • 人材開発・組織変革に関する最先端情報の収集と
    研究・情報発信、コンサルティング
会社HP http://www.humanvalue.co.jp/hv2/

「起業家」か「政治家」か「禅僧」か…!?異なる方向性を持った自分がいた時代。

高校生の頃は生徒会長を務めていました。
生徒会活動の魅力は、自分達に裁量があったこと。
生徒会室は教室一つ分くらいととても広く、設備も輪転印刷機2台、
ロッカーや事務机と、ほとんど事務所のような空間でした。
その中で、年間100万円以上の予算が生徒会に任されていて、
文化祭などの各種イベントや各部活動の運営費などを動かしていました。

今思えばそれも経営の勉強になっていたのかもしれません。
しかし、よく先生も一切口を出さずに任せてくれたものです。

高校の頃は生徒会活動に夢中になって、ほとんど勉強をしませんでした。
当時は勉強に対しては「やらされ感」になっていたので、モチベーションが湧きませんでした。

一浪して明治大学に入学したのですが、
その当時は全共闘運動の真っ盛りで授業もあまりありませんでした。
一年生の頃は、知り合いの政治家志望の若い人の選挙運動を手伝ったりしました。
あとは下宿にこもって毎日本を読んでいました。

そんな一方で、座禅に関心を持ちました。
ある時、お寺で集中して座禅をしていたときに、周囲の人や自然が輝いて見える状態になりました。
老師に尋ねると「小さな悟りだな」と、これが小さな悟りなら大悟したらどんなに素晴らしい
のだろうと思い、それから禅坊主になってみたいという気持ちが心の隅にあるようになりました。

「ブランド」ではなく、「生」の付き合いに価値を見出して

そして大学3年の頃、どうしても実社会のことをしたくて、事務所を借りてビジネスの真似事をしました。
セールスの仕事を通して実感したことは
「金を儲けるということに情熱のない人間は儲けられない」ということでした。
そしてその情熱が自分にはないので、金儲けを追求することは止めようと決心しました。

これからは地面に足をつけて実直に生きようと、事務所をたたんで、
大学を休学して結婚しました。そして、家業を手伝って働きました。
そうしたら父親から、飛び込みのセールスをするように言われて1年やりましたが、
やはり天下国家を論じて生きたいと思い、大学に戻ることにしました。
しかし、既に家庭を持っていた私は、食べていかないといけませんでしたので、
午前中は青果市場で働き、午後は大学に行く生活をしました。
そのときは、収入が少なくて夫婦で毎日お粥と金山寺味噌で生活していました。

しかし、若いせいか辛くはなく、結構楽しかったですね。世の中がだんだん透き通って見えてましたね。
私の周りにいた上昇志向の人は付き合いが離れていきました。
そのときから、人をラベルで見なくなり、その人の中身というか、
心のあり方で人と付き合うように、価値観が大きく変わったと思います。

貴重なキャリアを積んだ時代

青果市場で働いていたら、ある先輩がシンクタンクで働いている人を紹介してくれました。
そのご縁で、青果市場を辞めてシンクタンクでアルバイトをするようになりました。
そこではちゃんと調査研究のまねごとをさせていただき、アルバイト料だけでなく原稿料
まで払っていただき、本当に助けてもらいました。そのときに、一緒に働いている先輩に、
「高間君、それは科学ではないよ」などと教えてもらい、初めて科学とは何かが理解できて、
本当に勉強してみたいという気持ちが起きました。

しかし、家庭もちで大学院というのは無理なので、新聞広告を見て、産能大学に就職しました。
それならば自分のための大学院を作ろうと考え、シンクタンクの会議室を借りて勉強会を始めることにしました。
先輩たちも協力してくれて、錚々たる人たちが集まってくれました。私が勉強したいことを
議題にしてディスカッションしてもらうのですが、これが勉強になりました。2年ぐらい続いたと思います。

一方、産能大学では、新入職員の育成のために、大学でやっていたセミナーを
片っ端から受講させてもらいました。給料を貰って勉強させてもらい、こんな有り難いこと
はないと思っていましたね。

仕事の面では、数人いた先輩が自分の仕事を少しづつ分けてくれました。
そのために、官庁系の調査研究のプロジェクトの営業、コンピュータでの給与計算、
研究所向けの多変量解析の営業、SEプログラマーの要員派遣まで、幅広く担当すること
ができました。その後、研修を企画し事務局を行う仕事もしたのですが、
こういった全ての体験がいまの自分の仕事の基盤になっていたと思います。

自らのプロジェクト集団として活動開始

仕事が面白く、惑溺するように一生懸命やっていて10年たったとき、考えました。
このまま勤めて50歳になったとき、自分はどう思うだろうか。きっと部長ぐらいにはなって
いるかもしれないが、きっと違う人生を歩みたかったと思うだろうな。
そう思ったとき、大学を退職することにしました。

私の仕事はずっと企画専門でしたが、そのときは明確なプランはありませんでした。
ローンで買った家を売って、地方に安い家を買って、そのお金でとりあえず、ずっとやりた
かった座禅を2年ぐらいしてみたい。それから先のことを考えようと思ったのです。
ところが、家は売れないし、買った家は高いしで、すぐに生活に困ってしまいました。

そんな折、産能大学でお世話になった理事から電話がかかってきました。
米国からセミナーを売り込みに来る人がいるから、世話をしてくれというのです。
私はもう辞めているのですがと言ったのですが、いいからやれと言う。
いま考えると私を心配してくれたのですね。
それを日本版にアレンジして、新しいセミナープログラムを3本作りました。
これがヒットして、それからは産能大学の講師として、企業で研修するのに
明け暮れるようになりました。

それから、私の会社で一緒にやりたいという人が訪ねてきて、4~5人の会社になりました。
仕事の95%は産能大学の下請けでしたので、うちのメンバーがお客さまに直接会うことができない。
直接ニーズを聞くことができませんし、うちのメンバーがチームとしてお客さまと共創することができない。
これでは学習が起きないので、産能大学の仕事を断ることにしました。
そのときは、本当に売上げが無くなってきつくなったのですが、それを憐れんで仕事を
下さる方がいて、なんとかなりました。その後も20年間営業もしないできたのですが、
皆さんのご縁で仕事をいただいて、本当に感謝です。

25年経った今思うこと。

私たちは若くてつっぱていましたから、常に人材開発の最先端でいたいし、
日本の人材開発の質の向上に貢献したいという想いが、強くありました。
ですから、お金が入るとみんなで分けようとするよりも、最先端のIT機器に投資したり、
メンバー全員で海外に勉強に行ったりしていましたね。

そして、いつももっと素晴らしい理論や方法論があるのではないかと、試行錯誤していました。
そうすると、企業の中にも同じような課題で、試行錯誤をしている人がいて、
私たちを訪ねてきてくださるのです。
それでお互い響きあうように、一緒に課題に取り組んできました。
お客さまとは、仲間のようにして一緒に組織開発や人材開発に取り組んでこられた。
それが、ヒューマンバリューの強みになったのだと思います。

わたしたちの取り組みは、1992年ごろから「学習する組織」づくりに焦点があたるようになりました。
その取り組みの方が、実際に組織の成果が高まり、働く人々が元気になることを実感したからです。
そして、AIとかOSTといったホールシステムアプローチと呼んでいる方法を企業の組織開発や
行政体の市民参加に適用するようになってきました。

これからは、成長からサスティナブルにシフトせざるを得ない時代になると思います。
そういったときに、人や組織にどんな思想が必要なのか、どんな方法論があるのかを
探究し続けていきたいと思います。
組織で働く人々がもつ想いや、それぞれの人の能力が解放されて、自律的に組織の中で
動けるような世界、人々がお互いを尊重し、協力し合えるような世界を創る一翼を担っていくと思います。

学生へのメッセージ

「未来がどうなるか」なんて、誰もわかりません。
舞台に例えると、次がどんな場面か幕が開いてみないとわからないような感じです。
だから未来に向けて階段を登るようなキャリアプランを持たない方がいいと思います。

ではどうするのか。それは、いま与えられた状況を受け止めて一生懸命にやること。
そして、人より一歩でなくて良いから、半歩踏み込んでみることが大切かと思います。

ずっといろいろな人の人生を観てきて感じるのは、
全ての人にチャンスが平等に与えられているなということです。
そのチャンスに素直に乗ってみる人と、いろいろ理屈を付けてやる過ごす人がいます。
金儲けの話でチャンスですと看板付けてくるのはだいたい怪しく避けたほうが良いでしょう。
人生のチャンスは、苦難の姿をとってくるのではないでしょうか。
自分にとって損か得かという尺度で観ると、チャンスは見えない。勉強になるかとか、
皆さんのお役に立つのか、それをやることが正しいことなのかなどといった尺度で
観ることができると、チャンスが見えるのかなと思います。
毎日を半歩踏み込んで生きていくと、きっとチャンスがめぐってきます。
そのときに素直にはいはいと受け止められるように、物を見る尺度に磨きをかけておきたいものです。